稀勢の里引退の日に・・・
平成最後の年に平成最後の横綱が引退した。
強さよりも脆さの方が印象に残っているだろうか。
でも、初優勝の前後は歴代横綱と比べても強さの点で劣っていなかったと今でも思う。
日本出身力士が劣勢の中、一際期待されたその力士人生は、幸運と不運の比率はどちらが大きかったのだろう。
結果が全てとは言い切れない大相撲に於いて、稀勢の里という横綱の存在意義を考えるとき、子供の頃大人に「横綱=最強」ではないんだよ、と教えてもらったことを思い出す。
平成29年、稀勢の里三月場所(大阪)にて、力士生命を狂わせた大怪我を負った。この三月場所を含めこの年は九月場所以外の本場所に出場した。
これは、「新横綱お披露目」という意味合いがあったと想像出来る。加えて横綱昇進後初めての巡業参加となった夏巡業には地元茨城での常陸場所開催があった。この巡業にも当初の予定を早め参加した。結果、本場所では途中休場を繰り返し、治療にも専念出来なかった。
だが、興業面でみたとき、この年の横綱稀勢の里は欠かせなかったと思われる。地方三場所の興行成績を持ち直すためには19年ぶりの日本出身横綱は絶対必要のキラーコンテンツだった。
そんなこともわかった上で、稀勢の里は出続けたのではないだろうか。
「横綱=最強」ではないんだよ・・・
この日の大相撲中継時に写った北の富士さんの寂しげな面持ちが忘れられない。