法律遵守至上主義は怖いのよ
「会田誠さんらの講義で苦痛受けた」女性受講生が「セクハラ」で京都造形大を提訴という記事を読んだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190227-00009302-bengocom-soci
僕としては???というのが感想。
原告女性は環境型セクハラにあって、精神的苦痛を受けたとして訴訟を起こしたのだという。原告代理人の弁護士は
「作家の作品の是非や、セクハラ言動そのものでなく、そうした環境を作り出したことに問題があった」
と述べ、講座の運営方法や告知の仕方、その後の対応について責任を追及していくというからまた話がややこしい。
ちなみに「職場におけるハラスメント対策マニュアル - 厚生労働省」を参照すると。
「環境型セクハラ」とは、
労働者の意に反する性的な言動により、労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じるなど、その労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じることです。
たとえば・・・
- 事務所内において上司が労働者の腰、胸などに度々触ったため、その労働者が苦痛に感じてその就業意欲が低下していること。
- 同僚が取引先において労働者に係る性的な内容の情報を意図的かつ継続的に流布したため、その労働者が苦痛に感じて仕事が手につかないこと。
- 労働者が抗議をしているにもかかわらず、同僚が業務に使用するパソコンでアダルトサイトを閲覧しているため、それを見た労働者が苦痛に感じて業務に専念できないこと。
こう見ると環境型セクハラを理由に訴訟を起こすというのは、理由のための理由のような気がするし、訴訟理由がセクハラでいいんだろうかと思ってしまうのは僕の勉強不足か。
それにハラスメントを理由にもってこられたら今の時代、大学でなくても身構え、判断しかねて見誤るということもあるのでは無いだろうか。
そして、なんでも法の裁きによって解決を図ろうという方法はより良きことなのだろうか。
僕は受からなかったけれど、一応、司法書士試験を受ける勉強をしていた。そこで思ったのは「法律は人が作ったものである」という身も蓋もないことだった。だから、正直この訴訟を裁く人は大変だと思う。「感じ方」は相対化できない。芸術と認められているものが全て正しいとも言わないけれど、それを法律で判断するというのは無理があるような・・・
そして原告は訴訟の果てに何を求めているのか。
弁護士も何を以てこの事案を弁護しようと思ったのか。
たまさかそれが正義の剣だと思っているのなら些かバランスを欠いているように思うのだが・・・