今日は朝から
寝覚めが良かった。
でっ、「羽鳥慎一モーニングショー」の「そもそも総研」を見たわけ。
玉川さんとウーマンラッシュアワーの村本さん、ジャーナリストの安田純平さんの対談。
内容としてはこれと言って斬新でもなんでもなく、「それなりに問題意識を持っている人なら考えるかなぁ」という感じだったと思う。
しかし、驚きググッときたのはこの対談VTR明けのMC羽鳥慎一さんの反応。
羽鳥さんの第一声「ふぅぅぅん」
そして、彼にしては珍しく不満げな表情と
「違うと思う」という発言。
羽鳥さんからすると「伝えるためには炎上させても構わない」という村本さんの考えは許容しがたく、テレビが視聴者を安心させるためのもであることの効用を否定されたことも許容できなかったのだろうと思う。
この言動に対しweb上の羽鳥さんへの反応は概ね「がっかりだった」という感じだった。
コーナーMCの玉川さんは村本さんの発言、
「テレビは不安を解消するための道具で、真実を伝えるための道具ではない」
という言葉に胸を刺されたと言い、この言葉に関する考察をこそしたがっていたと見受けられたが、時間切れ。
う~ん、このことを報道したいのだったらもっと時間を取りたかったね。
「こんまりが世界で注目」とか今日じゃなくてもよかったね(アメリカじゃもうアンチも出てきたって言われてるしね)。
現政権になってからこっち「そもそも総研」ですらソフト化傾向にあったから、玉川さんからしたらもっとも聞かされたくない言葉だったんだと思う。
ただ、玉川さんの「わかりやすく面白く伝え続ける工夫をし続けるしかない」というむすびには若干モヤモヤを覚えた。
僕は各局横並びの5分もあれば伝わるくらいの内容の事柄のためにパネルを作って、それ専用に解説者を1~2人呼んで、結果どうでもいいオチをMCにしたり顔で決められる番組見させられるくらいなら、「ドラマの再放送してよっ」って思う軟弱者なので人の事は言えないけど。
あっあと、宇賀なつみアナウンサーに関しては
「かわいいねぇぇぇ」・・・ってことで。
橋本治氏が亡くなった
作家の橋本治氏が1月29日亡くなられた。
70歳。
早いよね・・・と思います。
僕の世代で言うと「桃尻娘」の人って認識。
「桃尻娘」を読んだわけではないのですが、1986年にフジテレビでドラマ化された時、「夕焼けニャンニャン」でおニャン子クラブの面々が
“「桃尻娘」と言う度にお小遣いがもらえる”
みたいな理由で競い合うように「桃尻娘」を連呼していたことしか記憶にない・・・ってあたりが僕の恥ずかしいところ。
1991年に「窯変源氏物語」が出版された時も話題になっていた。
だから僕の中では ”大作家” という認識なのであった。(読んだことないのに)
でも時代の寵児として認識されていたのは確かだと思う。
その方の死をYahooのあなたへのおすすめで知った。
それもかなり下の方で・・・
・・・なんだか悲しかったのです・・・
今日、橋本治氏の「草薙の剣」という小説作品を買ってきて読み始めました。
まだ、百頁も読んでいないけど面白いです。
こんな形で作家の作品と出会うこともあるのだなと思ったのです。
三日目の呪縛
ブログ開始三日目・・・
気になることは色々あれど、ネガティブモードで書いてしまいそう。
そういうのだけはやめようと思っているのに、昨日のもややネガティブモードだったし。
元々、根気の無さには自信がある。
日記なんて自発的に始めたものはすべからく三日坊主で終わった。
好きな物にしか興味を示さないくせに、好きな物もそこそこわかってしまうと「ハイッ次!!」ってモードになる。
ミーハー気質だと知ったのは(いや認めたのは)三十代中盤くらいだったが、もはや刺激中毒症なのではないかとも思う。
今をアップデートしたいといえば聞こえはいい、だけど、いま生み出された物、流行っている物、流行りそうな物を消費するというのは割と刹那的だと思うようになった。
時間に淘汰されていない物に価値を見いだす行為とは無責任なことなのかもしれない。
横綱の不作法
最初から言い訳めいたことを言って申し訳ないのですが、今日の話題は正直話したくないのです・・・
取り直しで白鵬に軍配が上がったこの一番。しかし横綱白鵬の立ち合いの見苦しかったこと・・・
錦木は「愚直」を絵に描いたような力士。しっかりと手を付いて相手を待つ立ち合いなんです。
そんな相手に横綱は待ったに突っかけとあくまで自分有利の間を作ることに腐心して。
動いていない相手に合わせられないって・・・
タイミングをずらすのもテクニックであり反則ではないですよ、そりゃ。
ただ、今まで見てきた大横綱と呼ばれた方たちに、こんなみっともないところが有ったという記憶はないんですね僕には。
「不滅の記録と現実のギャップ」なんてプロレスっぽいニックネームつけちゃうぞ、もう!!
でっ、この横綱は発言する内容が限りなく軽い・・・
「東京五輪で土俵入り」とか、誰も言ってないよね。(長野五輪の時だって相撲界からお願いしたわけではなかったはず)
誰からも頼まれていない段階からやりたいなんて、餌をねだるペットじゃあるまいし。それに意地悪く言ったら、横綱自らそれを望むというのは「大相撲は五輪以下です」と言ってしまってるともとられかねないわけで・・・
あくまでオファーがきてから「あぁそうですか、では」ってな具合で泰然と受ければいいじゃないと思うのよ。(オファーが無ければそれまでの人ってことよ)
自分のプロフィールの記載事項を増やしたいだけだったりして・・・と悪読みしちゃうぞっ。
白鵬の実績を今更腐す気は無い。無いですよ。
ただ、腐す気にならないような横綱であってほしいと切に望みたいだけなのよ、ホント。
稀勢の里引退の日に・・・
平成最後の年に平成最後の横綱が引退した。
強さよりも脆さの方が印象に残っているだろうか。
でも、初優勝の前後は歴代横綱と比べても強さの点で劣っていなかったと今でも思う。
日本出身力士が劣勢の中、一際期待されたその力士人生は、幸運と不運の比率はどちらが大きかったのだろう。
結果が全てとは言い切れない大相撲に於いて、稀勢の里という横綱の存在意義を考えるとき、子供の頃大人に「横綱=最強」ではないんだよ、と教えてもらったことを思い出す。
平成29年、稀勢の里三月場所(大阪)にて、力士生命を狂わせた大怪我を負った。この三月場所を含めこの年は九月場所以外の本場所に出場した。
これは、「新横綱お披露目」という意味合いがあったと想像出来る。加えて横綱昇進後初めての巡業参加となった夏巡業には地元茨城での常陸場所開催があった。この巡業にも当初の予定を早め参加した。結果、本場所では途中休場を繰り返し、治療にも専念出来なかった。
だが、興業面でみたとき、この年の横綱稀勢の里は欠かせなかったと思われる。地方三場所の興行成績を持ち直すためには19年ぶりの日本出身横綱は絶対必要のキラーコンテンツだった。
そんなこともわかった上で、稀勢の里は出続けたのではないだろうか。
「横綱=最強」ではないんだよ・・・
この日の大相撲中継時に写った北の富士さんの寂しげな面持ちが忘れられない。